小泉八雲「むじな」の変奏

新作落語「こんな顔かい?」

納富廉邦



「いやあ、飲んだ飲んだ。何か、こういう楽しい酒も久しぶりだな。これで、女の子と一緒の帰り道だったりすると最高なんだけどな」
ドン(人がぶつかった音)
「おい、なんだよ、謝りもせずに行っちゃったよ。何だろうなあ、あんなに必死で走って。あれは100メートル10秒切ってるぞ。そう言えば、俺も長いこと走ってないなあ。気分いいついでに、家まで走ってみるか?
ヨーイ、
と、おや? あそこに蹲ってるの、女の子じゃないか? うわ、スカート短いな、マイクロミニとか言うんだよな。いいなあ、あんな格好の女の子と付き合ってみたいなあ。ちょっと声かけてみようか。具合悪そうだし。でも、
声かけた途端『ギャー』とか言われて、また、100メートル10秒フラットで走られたらイヤだしなあ。こないだも、前歩いてた女の子がハンカチ落としたから拾ってやったら、凄い上ずった声で『にょうもっ』って言って、ハンカチひったくって走って行ったからなあ、俺はメジャーリーグで投げてないって、ほんとに」
何かぶつぶつ言いながら、声をかけようか、どうしようか迷っております。
意を決して、声をかけます。
「あのー、どうしました? 大丈夫ですか?」
「すみません、急に気持ち悪くなっちゃって、動けないんです」
「じゃあ、僕につかまって、ほら、とにかく立たないと」
「はい、すみません」
男が差し出した手に、女の手がかかり、すっと顔がこちらを向きます。
「ほら、しっかりつかまって」
「はい」
と言いながら振り向いた女の顔は、目も鼻も無い、のっぺらぼう。
「ギャーっ、うわー」
男は、100メートル11秒フラットの速さで走ります。
「うわー、うわー、ゼイゼイ。あそこに灯が見えるぞ、どうにか、あそこまで行かなきゃ。あ、交番だよ、良かったー、助かった
「お巡りさん、お巡りさん」
「どうしましたー」
「あの、そこで、あの、見たんです、あの」
「見たって、何を見ましたー?」
「それが、あの、その、」
「何ですかー?」
「あの、出たんですよ」
「だから、何がー?」
「の、の、の、のっぺ」
「のっぺ?」
「ハッ、こういう話、きいたことあるぞ。これで、俺が、のっぺらぼうを見たって言うと、『それは、こんな顔かい?』って言って、このお巡りさんものっぺらぼうになるんだよ。でも、そんなこと、普通、無いよなあ。大丈夫だよなあ」
そんなことを考えながら、ふっとお巡りさんの方を見ます。
「ダメだよ、言えないよ。このお巡りさん、下向いてるよ。あれ、『こんな顔かい?』って言う準備だよ」
「のっぺ、がどうしたんですか?」
「いや、あの、のっぺけぺー」
「本当に大丈夫ですか? さっきも随分、慌ててらしたし、何かあったのなら、ちゃんと話してください。都民のための警察ですから」
「いや、その、あの」
「ああ、今、お水、持ってきますから、それ飲んで、落ち着いて話して下さいよ」
「ああ、優しいんだなあ、最近の警察って。ともかく事情を話して、この人に送っていってもらった方がいいのかもなあ」
「はい、お水」
「あの、実は、さっき」
「はい?」
「そこで…」
「そこで」
「あ、ちょっと待て、例えば、ここで俺が、『怖いものを見てしまって』って言うだろ。すると、このお巡りが『その怖いものって』って言いながら顔を上げる、って展開はあるよな。ああ、もう分かんない」
「どうしました?」
「いや、やっぱりいいです、すみませんでしたー」
「ハアハア、しかし、昨日の夜は怖かったなあ。俺、布団から足出せなかったもんなあ。明るくなるまでトイレにも行けなかったし。でも朝になれば、こっちのもんだ。お、あれは田中だ。おーい、田中ー」
「あれ、吉川か? 何だよ、お前、顔色悪いぞ、どうかしたのか?」
「いや、昨日、ちょっと寝れなくてさ」
「また、出会いサイトとかやってたんだろ。いい加減にしろよ。そんなんで今日一日、仕事が勤まるのか?」
「大丈夫だよ。会社好きなんだ、俺。こういう人がいっぱいいるところが大好き」
「何だ、それ。でも、ほんと、夜更かしはやめろよ、もう学生んときみたいに若くはないんだから」
「遊んでて眠れなかったわけじゃないんだけど」
「じゃあ、何だ?」
「いや、昨日の夜、ちょっと怖い目にあっちゃってさ」
「何だ、援助交際相手が妊娠したとか?」
「誰が、援助交際やってんだよ」
「じゃあ、リストラ宣告されたとか。お前、リストに入ってるって噂あったからな」
「怖いこと言うなよ、そんな噂あったのか? そういうんじゃないって。見たんだよ、俺」
「見たって何を」
「何って、その、のっぺ おい、なんで、お前、急に下向くんだよ」
「え? ちょっと日差しが眩しくて。で、何見たって?」
「太陽、反対だよ。おい、こっち向けよ」
「だから、何を見たんだって聞いてるんだよ、俺は気がみじけえんだから、さっさと言えよ」
「いや、いいよ」
「えー? 言えよ、気になるじゃないか」
「ごめん、俺、急ぐんだった。じゃ、またな」
「ああ、危ない危ない。昼間でも、あれは見たくないからなあ」
「あ、吉川さーん」
「お、あれは、秘書課の小百合ちゃんじゃないか。相変わらずスタイルいいなあ、流石、我が社の叶美香」
「あの、吉川さん、昨日、何か怖いもの見たんですって?」
「へ?」
「ねえ、何見たのか教えて下さいよー」
「なんで、小百合さんが、そんなこと知ってるの?」
「田中さんに聞いたんですよ。何か、吉川さんが凄いもの見たらしいって。そういうの聞くと気になるじゃないですかあ」
「いや、そんな気にするほどのものじゃないって」
「でも、怖かったんでしょ? そういうの、一人で抱え込んでちゃダメですよ。小百合が聞いて、あ・げ・る」
「ああ、そうだね、小百合さんに聞いてもらえれば、今晩はゆっくり眠れるかも」
「そうですよー、何、見たんですか?」
「あのね」
「はい」
「お、小百合ちゃん、ちゃんとこっち見てる。綺麗な目だなあ。これなら大丈夫かな」
「そんな、見つめないで下さいよー、恥ずかしい」
「あ、ごめん、ごめん。それでね、俺が見たのは、のっぺら」
「小百合ちゃーん、電話ー」
「あ、はーい」
「あ、後ろ向き」
「のっぺら?」
「ごめん、急用思い出した。また今度ねー」
「あ、吉川さん、何、走ってるんですか?」
「あ、営業の松田くん」
「そうそう、吉川さん、怖いもの見たんですって?」
「さいならー」
「吉川さーん、何、見たか教えて下さいよー」
「俺にだけ、お願いしますよー」
「ねえ、おしえてーん」
「吉川っ、何、見たんだっ」
「吉川さーん、のっぺら、何ですかー」
「何だよ、なんで急に、俺、会社の人気者になってんだよ。冗談じゃないよ、本当に怖かったんだぞ。もう、今日も暗くなる前に帰ろう」
チャラララララアー(携帯の着メロ)
「はい、吉川です」
「あ、吉川さん? 小百合ですう」
「あ、小百合さん。昼間はすみませんでした」
「もう、吉川さん、急にいなくなっちゃうんだから。ねえ、小百合のこと、キライ?」
「いや、そんなことは」
「帰りに、お食事にでもって思ってたのに、5時ちょうどに窓の外見たら、もう吉川さん、駅に向かって走ってたじゃない。ホント、どうしたの? 小百合、し・ん・ぱ・い」
「いや、それは、あの」
「例の、怖いもののせいなんでしょ? ねえ、小百合にだけ、そっと教えて。何を見たの?」
「どうしようかなあ、言いたいなあ。ほんと、このままじゃ、気が狂いそうだもんなあ。あれ? これ電話じゃないか。ということは、例え、小百合さんが『こんな顔かい?』って言っても、そんなの見えないし、大丈夫ってことじゃないか。あ、でも、
「ちょっと小百合さん、一つだけ聞いていい?」
「なあに?」
「小百合さんの携帯って、カメラ付いてないよね」
「なによお、それ。うん、付いてないけど、どうかしたの?」
「いや、いいんだ。じゃ、聞いてくれるかなあ、俺の恐怖体験」
「うん、聞かせて」
「あのね、飲んだ帰りに、道端でうずくまってる女の子がいたんだ。で、大丈夫かな、と思って、その子に声かけたんだけど、振り向いたその子の顔が」
「顔が?」
「のっぺらぼうだったんだ」
「えー? のっぺらぼう?」
「うん」
「ねえ、そののっぺらぼうって、『こんな顔かい?』」
「ギャー」
「ねえ、冗談よ、冗談。ほら、そういう話があるから、ちょっと言ってみただけ」
「ハアハア、ビックリしたあ。電話でも怖いもんだね」
「ゴメンねえ。でも、もしかして吉川さん、『こんな顔かい?』が怖くて、何見たか言えなかったの?」
「…うん」
「そんなこと、あるはずないじゃない」
「でも…」
「きっと、のっぺらぼうも、何かの見間違いよ」
「そう、なのかなあ。でも、本当に怖かったんだよ」
「かわいいーっ、ますます吉川さんのこと、好きになっちゃう」
「え? 好き?」
「うん、小百合、前から吉川さんのことが気になるなあって思ってたから」
「えー?」
「ねえ、元気になった?」
「うん、もう、色んなとこが元気になったよ」
「じゃ、また明日、会社でね」
「はあ、嬉しいなあ。小百合さんが俺のこと好きだったなんて。気分いいなあ」
「お、吉川、今日はまた、いきなり元気そうだな」
「あ、田中」
「昨日は心配したんだぞ」
「すまん。もう大丈夫だから」
「じゃあ、ちょうど良かった。今日、みんなで飲みに行こうって言ってるんだけど、お前も来るよな。秘書課の子たちも来るぞ」
「あ、行く、行く。もちろん行く」
「じゃ、7時に、駅前のストーンフェイスな」
カエルがゲコで夜が来て
「ああ、遅くなっちゃった。もう始まってるだろうなあ。小百合さん、待ってるかなあ」
ドン(人がぶつかる音)
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
「ブッ、凄いブスだな、今の女。ほら、道行く人が笑ってるよ。道行く人が振り返る美人って言うけど、道行く人が噴き出すってのは滅多に無いぞ。あんな顔が世の中にあるんだなあ。あの顔で『すみません』って言われてもなあ。何がすみませんなのか分かんないよ、って、お、ここだ、居酒屋カフェ『ストーンフェイス』」
「お、吉川、来たな」
「あ、吉川さーん、ここ、ここ。小百合の隣に来て」
「どうもどうも、遅くなりまして」
「じゃ、まずは駆け付け三杯だな」
「はい、では、いただきます」
キューっ(飲んでる音)
「ブッ、ゴホンゴホン」
「吉川さん、大丈夫?」
「あ、小百合さん、大丈夫です、ちょっと思い出し笑いしたら咽せちゃって。ごほごほ」
「はい、これ使って(ハンカチを差し出す)。でも、咽せるほどの思い出し笑いって何なの?」
「ああ、今、そこで、凄い顔見ちゃってさあ」
「凄い顔?」
「うん、それがもう、目と鼻と口の区別がつかないっていうか、あれ? 何だよ、何で、みんな下向いてるんだよ。あ、小百合さんまで、ねえ、おい」
「吉川さん?」
「はい?」
「その顔って、こんな顔かい?」

終わり。


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