「昭和歌謡大全集」村上龍著
集英社 1300円(税込み)
「孤独なコンピュータおたくの若者達と、カラオケ好きのおばさんの、際限なき殺し合いを描いた村上龍の最新長編」と、帯に書いてあるが、これはちょっとミスリード。この小説に出てくる若者達は変な奴らだけど、コンピュータおたくではないし、カラオケ好きのオバサンと書かれた彼女たちは、俗に言うオバサン族的なキャラクターではなく、30代後半のちゃんと女性である人達だ。
まあ、若者達がどのように知り合ったのか、という部分に「ヤノはイシハラと本屋のコンピュータ関係の本のコーナーで出会って、マッキントッシュがどうのこうのという話をして」と書いてあるのと、6人全員がコンピュータ好きだと書いてあるので、そういうことかも知れない。ただ、この小説の6人の若者達の「変」とおたくとでは、「変」の質が違うような気がする。
それはそれとして、週刊プレイボーイ1993年6月22日号〜1994年2月1日号まで連載されたこの小説は凄く面白い。切ない活劇だし、珍しく笑えるギャグも入ってるし、何より最後までテンションが下がらない。
かつて、村上龍は、「コインロッカー・ベイビーズ」という小説を書いている。1980年代初頭、まだパンク・ニューェイヴの風が吹き荒れる時代に書かれたその小説で、主人公は生まれたときから怒っていた。「全部ぶっこわしてやる!」という思いが主人公を動かしていた。東京をぶっこわす小説だったのである(失敗したけど)。この「昭和歌謡大全集」では、外部に対して怒るどころか、積極的に関わることさえ苦手な主人公達が、本一冊かけて、ようやく怒りに気がつく。
しかもナイフから始まって、トカレフ、ミサイル・ランチャー、燃料気化爆弾と、使用する武器がエスカレートする割に、あくまで地域限定戦争だ。そのあたり、エンターテイメントとしての活劇が現在直面している問題、つまり巨悪の不在、善悪の相対化、個人の無力化、それらによる活劇のリアリティの希薄化、をそのまま浮き彫りにしているようにも見える。だからこの小説は「個」の戦争だ。
「昭和歌謡大全集」というタイトルと小説内での歌謡曲の扱いは、2、3年遅かったかなという気もするけれど、村上龍は常に自分の現在を書く小説家なので、ここにあるのが彼の現在だ。現在を不在にしてしまう作家が多い中、この姿勢は評価できるし、それが村上龍という作家の全てだと思う。その彼が、では、マックをどう見ているのだろうか。文中に「ナイフが好きなだけのアップルのパソコンさえ扱いが下手くそな…」とある。マックの扱いに上手い下手があるのかどうかは、僕にはよく分からない。