97.4.01-4.15

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1997.5.01

 子供の頃、胸焼けというのが分からなかった。どういう気分のものだろう、と思っていた。胸が「焼ける」なんて。だから、初めて胸焼けを起こしたときは、かなりマジメに感動した。本当に胸が焼けていた。正しく、ニュアンスを伝えている言葉だった。しかし、ムカムカする、という言葉は、それが何を指しているかは分かるし、ニュアンスとして近いこともわかるのだけれど、未だにしっくりしない。かつて、気持ち悪い言葉を聞くだけで、本当に気持ち悪くなって、吐いていた私だけれど、それでも、このこみ上げる吐き気は、「むかつき」という言葉では、表せていないような気がする。この気持ち悪さ。中学の時、クラス中で、チューリップの心の旅を合唱しなければならなかった時に、一人、途中で耐えきれず、トイレでゲーゲー吐いていた、あの気持ち悪さを表す言葉ってないのだろうか。今でも、例えばスピードの歌の歌詞(特にSteady)を聞くと、あの気持ち悪さが、ふと甦ることがあって、で、「この歌詞の、ここって気持ち悪いよね」などと話すのだけれど、「気持ち悪い」では、広すぎるのだ。「ムカつく」にチョーを付けても、全然ニュアンス自体は変わらないし、「吐き気がする」では、そのまんまだしね。やっぱり、胸関係だとは思うんだけど。
 胸と言えば、友達の27才の女の子が、「最近、もうこれ以上胸は大きくならないんだ、ということに気が付いて、悲しくなった」と言っていた。胸って、そんなに長いこと成長するものなのかなあ。


1997.5.02-06

 僕はいつものように、秘密基地に行くつもりだったんだ。僕の秘密基地さ。空き地を通り抜けた所にあって、秘密の宝ものだっておいてある大事な場所だ。
 それで、空き地のほうに歩いてたときに、それを見たんだ。
 何を見たって?
 なんだか僕にもよくわかんないや。赤い、大きな金魚みたいなもっとしっぽが長いやつなんだ。それが空き地のほうに落ちていったんだ。
 なんだろうって思った僕は、空き地まで走ったね。そしたら空き地はいつも通りで、女の子が一人いるだけなんだ。知らない女の子だけど、僕を見てニッコリ笑ったから、ぼくもニッコリして、
「なにしてるの? ここに何か落ちてこなかった?」って聞いたんだ。
「何も落ちてきたりしないよ。なんか落としたの?」女の子が不思議そうな顔して言うもんだから、僕ははずかしくなって、「私は、海見てるの。」って女の子が言ったときにうっかり「ふーん」といってから、ちょっとびっくりしたな。「こんなきれいな海、はじめてみるの。」って女の子が言うから、僕はヘンな子だなあっておもったけど、とってもうれしそうに空き地を指差して「ほら、あそこでおさかながはねた。」とか「波がキラキラしててほんとにきれい!」とか色々いうもんだから、僕も空き地をじーっと見てみたんだ。
「ジャングルだ!」
 女の子が、ヘンな顔をして僕を見たけど僕は気にしなかった。どうして、いままで空き地だって思ってたんだろう? 大きなすごくきれいな色の鳥が飛んでて、大きな木がいっぱいはえてて、僕は嬉しくて、女の子に「すごいね」って言ったんだ。
「うん、すごい」って女の子も言ったよ。
「でも、ふたりで並んで、違うものを見てるの は、ちょっとさびしいな。」って女の子が言ったんだ。ぼくもそんなことを思ってたから、「うん、いっしょにみようよ。」って言って、二人で相談したんだ。「北極は?」「アメリカ?」「飛行機な んかはどう?」「サーカスがみたい!」
 サーカスを見ながら、僕はこの女の子を 僕の秘密基地に連れてってあげようって考えてた。サーカスもホント楽しかったけど、この子と一緒なのがとっても嬉しかったんだ。
 夢中でサーカスを見てた僕は、お父さんとお母さんが来てたことに気が付かなかった。お父さんは、今までに見たことも無いヘンな顔をして、ボンヤリすわってた。僕が呼んでも、聞こえないみたいだ。お母さんは、いつのまにか泣きだしてた。どうしたんだろう?
「あのね、秘密基地に連れていってくれる?」
突然、女の子が言うんだ。僕は少しお父さん達が心配だったけど大人なんだから大丈夫だよね。僕は女の子と手をつないで空き地を走りだした。
 ほっぺたに風があたって、つないだ手は あったかくて、すごく気持ち良かった。ちょっと振り返ってみたら、お父さんとお母さんが手を振ってる。僕はなんだかホッとして、女の子に言ったんだ。
「ねえ、名前、教えてくれる?」


1997.05.7-10

 奈月は、狭いユニット・バスの、小さくて浅いバスタブに、何とか浸かろうと身体を横たえた。シャワーカーテンが肩に貼り付いて、ひやりとした感触が不快だった。振り払おうとしたその端のステッチに沿って、微かに黒っぽい黴が付いているのを見て、眉をしかめる。どうしても頭が出てしまう両膝が、身体の他の部分の暖かさとは切り離されたように冷たい。手で湯を掬って、何度も何度もかけても暖まらず、膝頭の中に何か冷たい金属でも入ってでもいるように思えた。汗ばむようなこの季節に、つめたく冷えている自分の膝が可哀想だ、と奈月は思った。
 狭いユニット・バスでは、バスタブの中から外に出ることはできない。カーテンで、うっすらと黴の浮いたカーテンで仕切られたバスタブから外に出て、のびのびと身体を洗ったりすることはできないのだ。腰まで浸かった湯の中で、申し訳程度の泡を立てたスポンジで身体を洗っていると、壁に肘が2度3度、ゴツッ、ゴツッと当たった。バスタブと壁の境目には、いくら磨いても消えてくれない、赤っぽい汚れが引っ越した当時からこびりついているのがイヤだった。
 奈月は、湯に浸かったまま栓を抜いた。軽い渦を作りながら、湯が排水口に吸い込まれていく。バスタブに湯が張られていないときに排水口を覗き込むと、そこに水が溜まっていることを奈月は知っていた。排水溝が詰まったときに修理に来てくれたオジサンに、なぜ口のところに水が溜まっているのかを質問したら、オジサンは「排水の臭いが逆流してこないように、水が溜まっているんだよ」と教えてくれた。では、そこに溜まっている水は、半分汚水の混じった、汚い水なのだろうかとそのとき思ったのだった。バスタブの湯が半分近くまで減ると、温度が急激に下がる。なぜ湯の温度が下がるのだろう。身体の下部が冷たかった。
 排水の臭いが逆流しないように、排水管の中に溜まった水が、次第にバスタブの湯に混ざり、温度を下げるのだろうか。それなら今わたしの身体は、半分汚水に浸かっていることになると思うと気味が悪かった。でも、と奈月は思う。排水口のゴム栓を抜いたときに、そこから何か恐ろしいものがわたしの部屋のバスルームに入り込み、熱い湯の温度を下げてしまっているのかもしれない。眠っている間に、あるいは本を読んでいる間に、その恐ろしいものがわたしの膝に入り込んでいるのかも知れない。 奈月は、その恐ろしいものを追い出したくて、シャワーヘッドをつかみ、右膝にたたきつけた。膝がぱっくりと切れて、流れ出た血が排水口まで筋を作った。

Text by 吉田メグミ


1997.05.11-12

 映画「悪魔の棲む家・最終章 ザ・ポルターガイスト」には、明るい死体が登場する。母の再婚により新しい父親と暮らすことになった少年の前に、既に腐敗が始まった姿で現れる、死んだはずの父。その登場に、少年は驚きもしない。そして、どんどん腐敗が進みつつも、この死体は、自分の妻を奪った男を埋めるための穴を掘りながら、自分の息子に明るく手を振ったりもする。生きているはずの他の登場人物は、みんな軒並みブルーになっているというのに、この死体だけは、ほがらかだ。そして、この映画では、その死体に遭遇した登場人物が、どいつもこいつも、みんな驚かない。死体とケンカした実の息子は、部屋に逃げ込むのだが、もちろん、その部屋には既に死体がいて、いきなり後ろから少年を呼ぶ。その時でさえ、少年は淡々としているのだ。なんだか、本当に不思議な映画だ。
 さらに、この映画がヘンなのは、家族のそれぞれに様々な恐怖、例えば、悪夢を見る父親、彼女の顔が焼かれ、自分は蜂に耳の中を刺される長男、死体の父に、新しい父殺しを命じられる奥さんの連れ子、悪魔の棲む家を部屋の中に持っている娘などなど。しかし、この奥さんは、単に長男とやりたいと思うだけなのだ。そして、勝手に一人で不機嫌になって旦那に八つ当たりして、昔の旦那である腐った死体とソファーに座ってテレビ見たりしているのだ。それが、事件が終わると、旦那に抱きついたりして、泣いたりなんかして、何だかよく分からない。そして、この映画は、主人公である父親の姉夫婦と長男の彼女だけを犠牲にして家族全員がめでたく助かり、ぎくしゃくしていた家族の絆が深まるという、とんでもないラストシーンを迎える。中々、教訓深い映画ではある。見ない方がいいぞ(見るなよ、そんなもの)。


1997.05.13

 広末涼子は、本当に人気があるのだろうか?どうもそうは思えないのだけれど、何故かマスコミ的には人気があることになっているらしい。まあ、おじさん人気は少しはあるのかも知れない。しかし、若い人に人気、ということはないはずだし、おじさん人気も、単に、そういう名前を知っている、というレベルに見える。まあ、そうやって売れている、という事実を作ってしまってから人気が上がるのを待つ、という手は、古くは天馬ルミ子から、最近では華原のともちゃんまで、結構普通に使われている手だし、成功したり失敗したりしてるんだけど、今回の広末涼子に関しては、それが強引と言うか無理矢理というか、それにしては時間がかかり過ぎてるというか、マスコミ的に、褒めるとどこかからお金が出ることになってるというか、そういう感じがして、もし、これで本当に人気が出たら、結構怖いことになるな、とも思う。松たか子は、そろそろ終わるからいいけど、広末さんには、もはやJリーグくらい金がかかってるような気がして、これでコケたら、死人が出るような気もするので、本気だな、と思って、怖いのである。ま、どうでもいいんだけど、「売れているものが、いいもの」という認識が強すぎるような気もするので、なんだかな。売れているものは、いいものかもしれない。しかし、売れている=いいもの、では決してない。売れないもの=悪いもの、でもない。もちろん、売れるもの=悪いもの、でもないし、売れないもの=いいもの、でもない。元々、売れることと、善し悪しは関係ないのだ。売れているから悪いものではないだろう、というのは、まあ正しいけど、悪いものではない=いいもの、でもない。だから、売れている、という現象は、単に売れている、というだけのものだし、いいから売れているのでも、悪いから売れているのでもない。別に、どうでもいいことだから、みんなが知っているものを知っておいた方がいいかな、というレベルのもので、しかも、みんなが知っている、というのは、皆に行き渡るだけの情報が流れている、つまり、お金がかかっている、というだけのものだ。価値観の多様化とか、個人の時代、とか言われていたのは、つくづく錯覚だったんだな、と一瞬思ったけど、実は、もともと、そんなものはなかったんだな、ということに気が付いて、結局、娯楽や趣味嗜好に頭を使う、ということ、つまり娯楽を楽しむことって、本当に嫌いな人が多いんだ、といういつもながらの結論に落ち着くのが、また悲しい。でも、いつから「エンタテインメント」は、娯楽の要素の情報のことを指す言葉になったんだろう、とは思うのだった。「知ってる」って、そんなに大事か?(うーむ、社会派だね)


1997.05.14

 歩いていても、文章を書いていても、何だか、いつも踊っている。歌っている。実際、俺が原稿書いてる時のキーボードを打つ姿を見たことがある人は分かると思うけど、本当に、踊ってるようなもんだ。傍目から見ると、結構、気持ち悪いかも。そうやって、ずーっと踊って、歌って、楽しくて、悩みがなくていいね、とか言われるけど、別に、踊るのは、踊りたいからで、悩みがあるとか無いとかとは関係ない。悩みがあっても、踊るときは踊る。別に、踊ったからといって、何かが解決するわけでも、ストレスが発散するわけでもない(そもそもストレスってよく分からない)。単に、踊りは踊りだ。だから、踊ってる間も、凄く考えてる。考えて、歌って踊って、音楽を聴いてるから楽しい。そんなもんだ。そういう奴だから、単に、踊るためのビートだけでは、あんまり楽しくない。要素はいっぱいあった方がいい。だから、俺、テクノとかドラムンベースとかばっかだと、すぐ飽きるんだな、と思う。別に、身体動かしてればいいってわけじゃないのよ。楽しくなるためには。踊ると、楽しくなるんじゃなくて、楽しいから、踊り出すんだもん。だから、もし、私が貧乏揺すりのようなことをしていたら、それは64ビートで踊ってるだけだから、間違わないように、ウソだと思ったら、計ってみな。


1997.05.15

 僕は 彼女を 殺した
 あいつを 殺したんだ やっと

というような文章を書く。で、これが、実は、「僕は、彼女を殺した。あいつを、殺したんだ、やっと。」かもしれないし、「僕は、彼女を殺したあいつを、殺したんだ、やっと。」かもしれない、というネタを考えたんだけど、これではミステリは書けないのだった。


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